グアテマラの歴史
令和4年8月9日
1.グアテマラ共和国成立まで
(1)マヤ
紀元前からマヤ系先住民族等は各地に居住し、紀元3世紀から9世紀頃の間、ティカルを始めとするその都市国家的文明が隆盛を極めた。多数の遺跡やマヤ暦等からは、彼らの建築、彫刻、数学、天文学がいかに優れていたかがわかる。
(2)スペイン人の侵入
メキシコでアステカ等の諸部族を侵略したスペイン王国は、中米にも侵攻し、1541年に現在の中米5ヶ国とメキシコ南部を支配するグアテマラ総督府を現在のアンティグア市に開設した。しかし、度重なる火山活動と地震のためアンティグアではその機能を果たせなくなり、1776年、総督府は現在のグアテマラ市に遷都された。
ヨ-ロッパの政局の動き(ナポレオンのスペイン本国支配等)と、アメリカ大陸における独立の機運の高まりの中で、1821年9月15日、グアテマラはスペイン支配からの独立を宣言した。この後一度はメキシコのアウグスティン・イトゥルビデ帝国に併合されたが、23年の同帝国崩壊を機に、現在の中米5ヶ国が中米諸州連合結成を宣言、さらに翌24年には中米連邦共和国が成立した。しかし、連邦内の利害対立が強く、グアテマラは1839年4月単独政府を創設し、47年3月には国名を現在の「グアテマラ共和国(Republica de Guatemala)」とした。
2.独立から第二次世界大戦まで
(1)外国資本の進出
共和国成立後は長期独裁政治が相次いだ。この間、バリオス大統領統治(1873-1885)下、土地改革によりコーヒー栽培が盛んになり、その過程でドイツの経済的影響力が増大したが、第1次大戦後ドイツの影響力が衰え、それに代わって米国の経済進出が著しくなった。特にエストラーダ大統領時代、米国ユナイテッド・フル-ツ会社にバナナ輸出、バナナ鉄道の独占的権限を許可したことは、米系資本の影響力を強化することとなった。
(2)第2次世界大戦中
第2次世界大戦に際して、ウビコ大統領は、日、独、伊枢軸3国に対し宣戦布告を行い、ドイツ人の所有していたコーヒー農園等を没収した。しかし、戦争は経済的に国民生活を圧迫し、政治的には民主主義思想を啓発し、革新勢力の台頭を促し、ついには「44年革命」でウビコ大統領は退陣に追い込まれる(1944年)。
3.第二次世界大戦後 -軍事政権の台頭と内戦-
(1)民主政権の樹立
1945年国民投票で大統領に就任したアレバロ大統領、及び51年に同政権を継いだアルベンス大統領により、10年間自由進歩的な施政が行なわれた。しかし、革新的な政策を進めようとしたアルベンス政権は、特に農地改革をめぐり、地主、農民、カトリック教会等保守勢力から反対を受け、さらにユナイテッド・フル-ツ会社の土地接収を契機に米国政府とも対立することとなった。
(2)民主政権から軍事政権へ
1954年6月、米国の隠然たる支援を得たカスティージョ大佐率いる国民解放運動(MLN)武装勢力がホンジュラス国境から侵攻し、アルベンス政権を打倒した。同年9月、カスティージョ大佐は大統領に就任し(1957年暗殺)グアテマラは軍政の時代へと入っていく。58年に大統領となったイディゴラス将軍は地方経済開発に努力したが、財政難やキュ-バ侵攻勢力の軍事訓練に国土を提供したことがきっかけとなり、60年、軍若手将校の反乱が発生した。同反乱は鎮圧されたが、山中に潜伏した指導者グル-プは、その後30年以上続く内戦の原因となるグアテマラ・ゲリラの源流となった。
アレバロ元大統領の政権復帰を望む声が高まる中で、当時国防大臣だったペラルタはクーデターによって政権を掌握し、65年には新憲法を制定し、その中で大統領再選を禁止した。
(3)過激テロの活発化
1966年の大統領選挙では革命党(PR)のメンデスが20年ぶりの文民大統領として選出され、民主主義的改革への期待が高まったが、左右両方の過激分子によるテロ活動が活発化し、施策の重点は治安対策に置かれるようになる。米国および独の大使等がゲリラグループにより殺害され、軍の大規模な掃討作戦を指揮して威名をはせたアラナ大佐が大統領に選出された。アラナ大統領は就任後約1年間戒厳令を敷き、ゲリラ分子殲滅を進めるとともに社会資本の充実を図り順調な経済成長を達成した。
(4)軍事独裁体制の強化とゲリラ活動の活発化
1978年に誕生したルーカス政権は左右穏健派の連合政権として発足したが、左右両極からの政治テロが続発し、また1979年7月のニカラグアにおける左派のサンディニスタ革命政権の成立、同年10月にエル・サルバドルでクーデター発生と内戦状況の深刻化などの近隣諸国の影響で政情混乱が生じた。加えて80年1月の農民・ゲリラグループによるスペイン大使館占拠・炎上事件(40名死亡)も起こり、当国治安情勢は急速に悪化したため、政府は取締りを強化、労働運動等に対しても強い姿勢で臨むこととなり、政治路線は当初の中道から右寄りへと移行した。ゲリラ活動は地方先住民族農民を巻き込む全国的現象となり、82年2月には、4大ゲリラ組織が統一組織グアテマラ国民革命連合(URNG)結成を宣言した。
(5)リオス・モント将軍による対ゲリラ掃討作戦と虐殺
1982年、3月に成立したゲバラ政権は若手将校の起こしたクーデターによって1ヶ月も持たずして倒れ、リオス・モント将軍を議長とする軍事評議会が成立し、65年憲法を廃止し国家基本法を制定した。82年6月、軍事評議会は解体され、リオス・モント将軍が大統領に就任した。リオス・モント大統領は軍の力を背景に、民主的政策、西側陣営との協調を政策の柱として掲げ、またゲリラ活動の封じ込めに成果を上げた。他方、同政権時代には対ゲリラ掃討作戦の一環として当局による数々の虐殺事件や人権侵害事件が発生し、当国の人権状況に対する国際的な非難も高まった。
(6)民政移管の達成
リオス・モント大統領はメヒア国防大臣を中心とする軍の圧力により大統領の座を追われ、メヒア政権は新憲法の制定とそれに基づく民政移管を命題として、84年7月には制憲議会議員選挙を実施し、新憲法の公布、大統領及び国会議員選挙を行なった。その結果、キリスト教民主党(DCG)のセレソ候補が大統領に選出され、86年1月大統領に就任し、20年ぶりの民政移管が達成され、同日、新憲法も発効した。セレソ大統領は、内政面ではさしたる成果は挙げられなかったが外交面では「積極中立」政策を唱え中米和平にイニシアティブをとりニカラグア紛争の解決(1987年)に大きな役割を果たした。
(7)セラーノ大統領によるセルフ・クーデター
民政移管後初の大統領選挙となった1990年の選挙では、連帯行動運動党(MAS)のセラ-ノが大統領に選出された。セラーノ政権はマクロ経済の改善に尽力したが、連立与党を組む国民進歩党(PAN)と、91年9月のベリーズ承認をめぐって対立し、これ以降は国民中央連合(UCN)及びキリスト教民主党(DCG)との三党協調体制へ移行。92年後半から、政府批判、人権問題等をめぐり、マスコミ、宗教関係者、経済団体及び市民団体とセラーノ大統領との関係が悪化した。93年5月、セラ-ノ大統領は憲法一時停止措置を宣言し、セルフ・ク-デタ-を図ったが、国内外からの強い反発をうみ、僅か6日間でパナマへ亡命した。
セラ-ノの亡命を受けて、6月、デ・レオン人権擁護官が新大統領に国会で選出され、大統領に就任。デ・レオン大統領は国民の要望に基づき、国会議員及び最高裁判事の辞任請求を行い、行政府と立法府及び司法府の対立は決定的となったが、カトリック司教会議の仲介により、憲法改正を実施するとともに、国会議員選挙及び最高裁判事選出の前倒し実施が合意された。94年1月、国民投票により憲法改正が承認された(4月公布)。
4.内戦終結・新たな課題
(1)アルスー政権誕生と最終和平協定の署名
1996年の選挙で大統領に選出された国民進歩党(PAN)のアルスーは、同年12月29日「グアテマラ国民革命連合(URNG)」との間で「最終和平合意協定」に署名し、36年間に亘り継続された中米最長の内戦に終止符を打った。アルスー政権は120項目にわたる和平合意協定の実施即ち「和平プロセス」の履行に尽力し、停戦及びゲリラの武装解除のみならず、軍改革の着手、国家文民警察(PNC)の創設、先住民族の人権強化及び行政・司法制度の改革等に着手した。特に、実質的に政権を掌握していた国軍の役割が国防主体に限定され、かつ軍要員の3割削減を実現し近代民主主義国家にふさわしい軍隊としての抜本的改革が実施されたこと、またPNCが創設されたこと等に代表されるように、97年の和平プログラムは比較的順調に進渉したといえる。しかしながら、98年より和平協定の履行は失速、政治的暴力が姿を消した反面、一般犯罪が増加し、また雇用の創出が充分行われず、和平の成果を一般国民が実感する迄には至らなかった。
(2)ポルティージョ政権-汚職問題-
1999年大統領選挙では、野党第一党グアテマラ共和戦線(FRG)が、前回大統領選挙に引き続いてポルティージョ(元キリスト教民主党出身、95年にFRG入党)を大統領候補に擁立した。前政権への批判票に加え、党派を越えた支持を得ることに成功したFRGは、ポルティージョの気さくな性格とポピュリスト的言動により、地方農村部の貧困層及び中間層の支持を得て、同年12月、決選投票でPANのベルシェ候補を破り勝利した。2000年1月ポルティージョ政権が発足。
同政権は、貧困撲滅、汚職対策、和平協定履行等を重点的政策とした。2001年10月には「貧困削減戦略」を発表し、グアテマラ経済の寡占状態打開を訴え、地方開発等を積極的に進めた。和平合意に盛られた対GNP比税収率12%達成を目標に消費税の引き上げや新税の導入を行ったが、これは財界及び市民団体との対立を生んだ。同政権の後半になると、政府高官が絡む汚職のため、政府はその機能を大きく低下させ、また、治安の悪化が急速に進み始め、国民の不満は一気に膨らんでいった。
(3)ベルシェ政権-治安の悪化-
2004年1月、ベルシェ政権が誕生。ベルシェ大統領は、ポルティージョ前政権の負の遺産(政府諸機関内の汚職の蔓延・機能不全等)を抱えての困難な船出となったが、和平協定の履行、雇用創出、貧困削減、治安改善、汚職問題への対処等を重点課題として精力的に取り組みを開始した。行政機能の正常化・透明性の確保等で一定の成果を上げ始めるものの、2005年10月には熱帯性低気圧スタンがもたらした豪雨により、大きな災害に見舞われた(死者・行方不明者が1、500名以上、道路、橋梁、農業に大きな被害)。2007年までに、初等教育の普及率の改善、地方幹線道路・空港等のインフラ整備などの分野で着実に成果を収めた一方、治安が悪化の一方を辿ったことは次期政権への大きな課題として引き継がれることとなった。
(4)コロン政権
2008年1月、コロン政権が発足。コロン大統領は、社会民主主義を標榜し、特に地方の先住民のニーズに基づく社会開発推進に重点を置きつつ、貧困や経済格差、治安問題などに対処することを提言。財政政策に関しては、脱税取締りの強化や無駄な公共政策の廃止に努め、少なくとも1年間は増税しないことを明言した。 しかしながら、半年後に実施された世論調査では早くもコロン大統領の政権運営について68.5%が「不可」と回答、原油や穀物の国際相場高騰など経済面での「逆風」も加わる中、コロン政権にとり厳しい結果が示された。任期後半には、世界経済危機や自然災害等の悪条件も重なったが、悪化する治安問題について効果的な政策を打ち出せない政府に対する批判が強まった。
(5)ペレス・モリーナ政権及びマルドナド政権
2012年1月、「飢餓ゼロ」、「治安・司法・平和」、「財政・経済成長」の3合意実現を政権運営の柱とするペレス・モリーナ政権が発足。発足当初は国民の期待から、82%という高い支持率(2012年4月prodatos社調べ)を誇っていたものの、国民が期待する治安・経済(雇用等)分野において具体的な成果を示すことが出来ず支持率が低下した。
2015年4月以降、検察庁及びグアテマラ無処罰問題対策国際委員会(CICIG)により、脱税汚職グループ「ラ・リネア」や社会保険庁の汚職が摘発され、国税庁長官や中央銀行総裁などの政府高官が逮捕されたほか、主犯格であったバルデッティ副大統領も辞任に追い込まれ、後に逮捕された。
「ラ・リネア」事件の発覚以降、4月後半から毎週土曜日に、汚職政権を批判する数万人規模の市民デモが憲法広場で行われたが、この大規模市民デモは、ペレス・モリーナ大統領の汚職事件への関与が明るみとなり、国会が同大統領の不逮捕特権を剥奪したことにより9月3日に同大統領が辞任するまで19週間連続で実施された。その後、ペレス・モリーナ大統領は逮捕・拘留されている。
ペレス・モリーナ前大統領が任期満了を待たずして辞任したことにより、マルドナド副大統領(バルデッティ副大統領の後任として2015年5月に就任)が大統領に就任した。マルドナド大統領は、2016年1月のモラレス政権発足まで政権を担った。
(6)モラレス政権
2015年10月の大統領選でジミー・モラレス氏が汚職撲滅(スローガン汚職も泥棒もない「Ni corrupto、 ni ladron」)を掲げて当選した。2016年1月に就任したモラレス大統領は、就任式で「汚職対策」、「保健衛生」、「教育」、「経済成長」を重点課題として表明した。
モラレス大統領は、個人の利権によって動く古い政治体制に対する反対票を獲得したことによって大統領選に勝利したものの、大統領の所属する与党国民集中戦線(FCN)が退役軍人組織を基盤にしており、さらに、当選後は方針を変え、既成政党から党籍変更した議員をFCNに多く受け入れたことなどから、モラレス大統領は古い政治を踏襲しているとして一部の国民から批判された。
また、モラレス大統領は当初CICIGを支持していたものの、2015年大統領選挙戦におけるFCNの選挙資金不正問題および2017年1月のモラレス大統領の息子と兄の逮捕・起訴を発端として同委員会との対立姿勢が鮮明となり、2019年1月、モラレス政権はCICIGの設立合意終了を決定、CICIGはグアテマラでの活動を9月に正式に終了するに至った。これにより内外から批判が集中した。
(7)ジャマテイ政権
2020年1月に就任したジャマテイ大統領は、政権発足後約2カ月でコロナ禍への対応を余儀なくされた。また、同年は熱帯低気圧イータ・イオタ等相次ぐ大型災害被害にも見舞われ、当初掲げた政策に十分に取り組んだとは言えなかった。また2021年以降、コロナ・ワクチン確保を巡る混乱および接種の遅れ、ジャマテイ大統領自身が関係すると言われる汚職事案の可能性や、検察庁や司法界も含めた反汚職関係者に対する追及、バイデン米政権との汚職問題等を巡る緊張の表面化等、様々な課題が浮き彫りとなった。
他方、2020年にコロナ禍の影響を大きく受けたグアテマラ経済は2021年に順調に回復、44年ぶりとなる7.5%の高成長を達成し、中南米地域で経済的影響が最も小さい国といわれる。2023年の総選挙を見据えたジャマテイ大統領の政権運営および残りの任期に貧困削減や栄養不足問題、教育、経済活性化、治安政策等で具体的な成果を上げられるかが注目される。
1945年以降の歴代大統領
(1)マヤ
紀元前からマヤ系先住民族等は各地に居住し、紀元3世紀から9世紀頃の間、ティカルを始めとするその都市国家的文明が隆盛を極めた。多数の遺跡やマヤ暦等からは、彼らの建築、彫刻、数学、天文学がいかに優れていたかがわかる。
(2)スペイン人の侵入
メキシコでアステカ等の諸部族を侵略したスペイン王国は、中米にも侵攻し、1541年に現在の中米5ヶ国とメキシコ南部を支配するグアテマラ総督府を現在のアンティグア市に開設した。しかし、度重なる火山活動と地震のためアンティグアではその機能を果たせなくなり、1776年、総督府は現在のグアテマラ市に遷都された。
ヨ-ロッパの政局の動き(ナポレオンのスペイン本国支配等)と、アメリカ大陸における独立の機運の高まりの中で、1821年9月15日、グアテマラはスペイン支配からの独立を宣言した。この後一度はメキシコのアウグスティン・イトゥルビデ帝国に併合されたが、23年の同帝国崩壊を機に、現在の中米5ヶ国が中米諸州連合結成を宣言、さらに翌24年には中米連邦共和国が成立した。しかし、連邦内の利害対立が強く、グアテマラは1839年4月単独政府を創設し、47年3月には国名を現在の「グアテマラ共和国(Republica de Guatemala)」とした。
2.独立から第二次世界大戦まで
(1)外国資本の進出
共和国成立後は長期独裁政治が相次いだ。この間、バリオス大統領統治(1873-1885)下、土地改革によりコーヒー栽培が盛んになり、その過程でドイツの経済的影響力が増大したが、第1次大戦後ドイツの影響力が衰え、それに代わって米国の経済進出が著しくなった。特にエストラーダ大統領時代、米国ユナイテッド・フル-ツ会社にバナナ輸出、バナナ鉄道の独占的権限を許可したことは、米系資本の影響力を強化することとなった。
(2)第2次世界大戦中
第2次世界大戦に際して、ウビコ大統領は、日、独、伊枢軸3国に対し宣戦布告を行い、ドイツ人の所有していたコーヒー農園等を没収した。しかし、戦争は経済的に国民生活を圧迫し、政治的には民主主義思想を啓発し、革新勢力の台頭を促し、ついには「44年革命」でウビコ大統領は退陣に追い込まれる(1944年)。
3.第二次世界大戦後 -軍事政権の台頭と内戦-
(1)民主政権の樹立
1945年国民投票で大統領に就任したアレバロ大統領、及び51年に同政権を継いだアルベンス大統領により、10年間自由進歩的な施政が行なわれた。しかし、革新的な政策を進めようとしたアルベンス政権は、特に農地改革をめぐり、地主、農民、カトリック教会等保守勢力から反対を受け、さらにユナイテッド・フル-ツ会社の土地接収を契機に米国政府とも対立することとなった。
(2)民主政権から軍事政権へ
1954年6月、米国の隠然たる支援を得たカスティージョ大佐率いる国民解放運動(MLN)武装勢力がホンジュラス国境から侵攻し、アルベンス政権を打倒した。同年9月、カスティージョ大佐は大統領に就任し(1957年暗殺)グアテマラは軍政の時代へと入っていく。58年に大統領となったイディゴラス将軍は地方経済開発に努力したが、財政難やキュ-バ侵攻勢力の軍事訓練に国土を提供したことがきっかけとなり、60年、軍若手将校の反乱が発生した。同反乱は鎮圧されたが、山中に潜伏した指導者グル-プは、その後30年以上続く内戦の原因となるグアテマラ・ゲリラの源流となった。
アレバロ元大統領の政権復帰を望む声が高まる中で、当時国防大臣だったペラルタはクーデターによって政権を掌握し、65年には新憲法を制定し、その中で大統領再選を禁止した。
(3)過激テロの活発化
1966年の大統領選挙では革命党(PR)のメンデスが20年ぶりの文民大統領として選出され、民主主義的改革への期待が高まったが、左右両方の過激分子によるテロ活動が活発化し、施策の重点は治安対策に置かれるようになる。米国および独の大使等がゲリラグループにより殺害され、軍の大規模な掃討作戦を指揮して威名をはせたアラナ大佐が大統領に選出された。アラナ大統領は就任後約1年間戒厳令を敷き、ゲリラ分子殲滅を進めるとともに社会資本の充実を図り順調な経済成長を達成した。
(4)軍事独裁体制の強化とゲリラ活動の活発化
1978年に誕生したルーカス政権は左右穏健派の連合政権として発足したが、左右両極からの政治テロが続発し、また1979年7月のニカラグアにおける左派のサンディニスタ革命政権の成立、同年10月にエル・サルバドルでクーデター発生と内戦状況の深刻化などの近隣諸国の影響で政情混乱が生じた。加えて80年1月の農民・ゲリラグループによるスペイン大使館占拠・炎上事件(40名死亡)も起こり、当国治安情勢は急速に悪化したため、政府は取締りを強化、労働運動等に対しても強い姿勢で臨むこととなり、政治路線は当初の中道から右寄りへと移行した。ゲリラ活動は地方先住民族農民を巻き込む全国的現象となり、82年2月には、4大ゲリラ組織が統一組織グアテマラ国民革命連合(URNG)結成を宣言した。
(5)リオス・モント将軍による対ゲリラ掃討作戦と虐殺
1982年、3月に成立したゲバラ政権は若手将校の起こしたクーデターによって1ヶ月も持たずして倒れ、リオス・モント将軍を議長とする軍事評議会が成立し、65年憲法を廃止し国家基本法を制定した。82年6月、軍事評議会は解体され、リオス・モント将軍が大統領に就任した。リオス・モント大統領は軍の力を背景に、民主的政策、西側陣営との協調を政策の柱として掲げ、またゲリラ活動の封じ込めに成果を上げた。他方、同政権時代には対ゲリラ掃討作戦の一環として当局による数々の虐殺事件や人権侵害事件が発生し、当国の人権状況に対する国際的な非難も高まった。
(6)民政移管の達成
リオス・モント大統領はメヒア国防大臣を中心とする軍の圧力により大統領の座を追われ、メヒア政権は新憲法の制定とそれに基づく民政移管を命題として、84年7月には制憲議会議員選挙を実施し、新憲法の公布、大統領及び国会議員選挙を行なった。その結果、キリスト教民主党(DCG)のセレソ候補が大統領に選出され、86年1月大統領に就任し、20年ぶりの民政移管が達成され、同日、新憲法も発効した。セレソ大統領は、内政面ではさしたる成果は挙げられなかったが外交面では「積極中立」政策を唱え中米和平にイニシアティブをとりニカラグア紛争の解決(1987年)に大きな役割を果たした。
(7)セラーノ大統領によるセルフ・クーデター
民政移管後初の大統領選挙となった1990年の選挙では、連帯行動運動党(MAS)のセラ-ノが大統領に選出された。セラーノ政権はマクロ経済の改善に尽力したが、連立与党を組む国民進歩党(PAN)と、91年9月のベリーズ承認をめぐって対立し、これ以降は国民中央連合(UCN)及びキリスト教民主党(DCG)との三党協調体制へ移行。92年後半から、政府批判、人権問題等をめぐり、マスコミ、宗教関係者、経済団体及び市民団体とセラーノ大統領との関係が悪化した。93年5月、セラ-ノ大統領は憲法一時停止措置を宣言し、セルフ・ク-デタ-を図ったが、国内外からの強い反発をうみ、僅か6日間でパナマへ亡命した。
セラ-ノの亡命を受けて、6月、デ・レオン人権擁護官が新大統領に国会で選出され、大統領に就任。デ・レオン大統領は国民の要望に基づき、国会議員及び最高裁判事の辞任請求を行い、行政府と立法府及び司法府の対立は決定的となったが、カトリック司教会議の仲介により、憲法改正を実施するとともに、国会議員選挙及び最高裁判事選出の前倒し実施が合意された。94年1月、国民投票により憲法改正が承認された(4月公布)。
4.内戦終結・新たな課題
(1)アルスー政権誕生と最終和平協定の署名
1996年の選挙で大統領に選出された国民進歩党(PAN)のアルスーは、同年12月29日「グアテマラ国民革命連合(URNG)」との間で「最終和平合意協定」に署名し、36年間に亘り継続された中米最長の内戦に終止符を打った。アルスー政権は120項目にわたる和平合意協定の実施即ち「和平プロセス」の履行に尽力し、停戦及びゲリラの武装解除のみならず、軍改革の着手、国家文民警察(PNC)の創設、先住民族の人権強化及び行政・司法制度の改革等に着手した。特に、実質的に政権を掌握していた国軍の役割が国防主体に限定され、かつ軍要員の3割削減を実現し近代民主主義国家にふさわしい軍隊としての抜本的改革が実施されたこと、またPNCが創設されたこと等に代表されるように、97年の和平プログラムは比較的順調に進渉したといえる。しかしながら、98年より和平協定の履行は失速、政治的暴力が姿を消した反面、一般犯罪が増加し、また雇用の創出が充分行われず、和平の成果を一般国民が実感する迄には至らなかった。
(2)ポルティージョ政権-汚職問題-
1999年大統領選挙では、野党第一党グアテマラ共和戦線(FRG)が、前回大統領選挙に引き続いてポルティージョ(元キリスト教民主党出身、95年にFRG入党)を大統領候補に擁立した。前政権への批判票に加え、党派を越えた支持を得ることに成功したFRGは、ポルティージョの気さくな性格とポピュリスト的言動により、地方農村部の貧困層及び中間層の支持を得て、同年12月、決選投票でPANのベルシェ候補を破り勝利した。2000年1月ポルティージョ政権が発足。
同政権は、貧困撲滅、汚職対策、和平協定履行等を重点的政策とした。2001年10月には「貧困削減戦略」を発表し、グアテマラ経済の寡占状態打開を訴え、地方開発等を積極的に進めた。和平合意に盛られた対GNP比税収率12%達成を目標に消費税の引き上げや新税の導入を行ったが、これは財界及び市民団体との対立を生んだ。同政権の後半になると、政府高官が絡む汚職のため、政府はその機能を大きく低下させ、また、治安の悪化が急速に進み始め、国民の不満は一気に膨らんでいった。
(3)ベルシェ政権-治安の悪化-
2004年1月、ベルシェ政権が誕生。ベルシェ大統領は、ポルティージョ前政権の負の遺産(政府諸機関内の汚職の蔓延・機能不全等)を抱えての困難な船出となったが、和平協定の履行、雇用創出、貧困削減、治安改善、汚職問題への対処等を重点課題として精力的に取り組みを開始した。行政機能の正常化・透明性の確保等で一定の成果を上げ始めるものの、2005年10月には熱帯性低気圧スタンがもたらした豪雨により、大きな災害に見舞われた(死者・行方不明者が1、500名以上、道路、橋梁、農業に大きな被害)。2007年までに、初等教育の普及率の改善、地方幹線道路・空港等のインフラ整備などの分野で着実に成果を収めた一方、治安が悪化の一方を辿ったことは次期政権への大きな課題として引き継がれることとなった。
(4)コロン政権
2008年1月、コロン政権が発足。コロン大統領は、社会民主主義を標榜し、特に地方の先住民のニーズに基づく社会開発推進に重点を置きつつ、貧困や経済格差、治安問題などに対処することを提言。財政政策に関しては、脱税取締りの強化や無駄な公共政策の廃止に努め、少なくとも1年間は増税しないことを明言した。 しかしながら、半年後に実施された世論調査では早くもコロン大統領の政権運営について68.5%が「不可」と回答、原油や穀物の国際相場高騰など経済面での「逆風」も加わる中、コロン政権にとり厳しい結果が示された。任期後半には、世界経済危機や自然災害等の悪条件も重なったが、悪化する治安問題について効果的な政策を打ち出せない政府に対する批判が強まった。
(5)ペレス・モリーナ政権及びマルドナド政権
2012年1月、「飢餓ゼロ」、「治安・司法・平和」、「財政・経済成長」の3合意実現を政権運営の柱とするペレス・モリーナ政権が発足。発足当初は国民の期待から、82%という高い支持率(2012年4月prodatos社調べ)を誇っていたものの、国民が期待する治安・経済(雇用等)分野において具体的な成果を示すことが出来ず支持率が低下した。
2015年4月以降、検察庁及びグアテマラ無処罰問題対策国際委員会(CICIG)により、脱税汚職グループ「ラ・リネア」や社会保険庁の汚職が摘発され、国税庁長官や中央銀行総裁などの政府高官が逮捕されたほか、主犯格であったバルデッティ副大統領も辞任に追い込まれ、後に逮捕された。
「ラ・リネア」事件の発覚以降、4月後半から毎週土曜日に、汚職政権を批判する数万人規模の市民デモが憲法広場で行われたが、この大規模市民デモは、ペレス・モリーナ大統領の汚職事件への関与が明るみとなり、国会が同大統領の不逮捕特権を剥奪したことにより9月3日に同大統領が辞任するまで19週間連続で実施された。その後、ペレス・モリーナ大統領は逮捕・拘留されている。
ペレス・モリーナ前大統領が任期満了を待たずして辞任したことにより、マルドナド副大統領(バルデッティ副大統領の後任として2015年5月に就任)が大統領に就任した。マルドナド大統領は、2016年1月のモラレス政権発足まで政権を担った。
(6)モラレス政権
2015年10月の大統領選でジミー・モラレス氏が汚職撲滅(スローガン汚職も泥棒もない「Ni corrupto、 ni ladron」)を掲げて当選した。2016年1月に就任したモラレス大統領は、就任式で「汚職対策」、「保健衛生」、「教育」、「経済成長」を重点課題として表明した。
モラレス大統領は、個人の利権によって動く古い政治体制に対する反対票を獲得したことによって大統領選に勝利したものの、大統領の所属する与党国民集中戦線(FCN)が退役軍人組織を基盤にしており、さらに、当選後は方針を変え、既成政党から党籍変更した議員をFCNに多く受け入れたことなどから、モラレス大統領は古い政治を踏襲しているとして一部の国民から批判された。
また、モラレス大統領は当初CICIGを支持していたものの、2015年大統領選挙戦におけるFCNの選挙資金不正問題および2017年1月のモラレス大統領の息子と兄の逮捕・起訴を発端として同委員会との対立姿勢が鮮明となり、2019年1月、モラレス政権はCICIGの設立合意終了を決定、CICIGはグアテマラでの活動を9月に正式に終了するに至った。これにより内外から批判が集中した。
(7)ジャマテイ政権
2020年1月に就任したジャマテイ大統領は、政権発足後約2カ月でコロナ禍への対応を余儀なくされた。また、同年は熱帯低気圧イータ・イオタ等相次ぐ大型災害被害にも見舞われ、当初掲げた政策に十分に取り組んだとは言えなかった。また2021年以降、コロナ・ワクチン確保を巡る混乱および接種の遅れ、ジャマテイ大統領自身が関係すると言われる汚職事案の可能性や、検察庁や司法界も含めた反汚職関係者に対する追及、バイデン米政権との汚職問題等を巡る緊張の表面化等、様々な課題が浮き彫りとなった。
他方、2020年にコロナ禍の影響を大きく受けたグアテマラ経済は2021年に順調に回復、44年ぶりとなる7.5%の高成長を達成し、中南米地域で経済的影響が最も小さい国といわれる。2023年の総選挙を見据えたジャマテイ大統領の政権運営および残りの任期に貧困削減や栄養不足問題、教育、経済活性化、治安政策等で具体的な成果を上げられるかが注目される。
1945年以降の歴代大統領
1945-1951 JUAN AREVALO 1951-1954 JACOBO ARBENZ 1954-1957 CRLOS CASTILLO 1958-1963 MIGUEL IDIGORAS 1963-1966 ENRIQUE PERALTA 1966-1970 JULIO MENDEZ 1970-1974 CARLOS ARANA 1974-1978 KJELL LAUGERUD 1978-1982 ROMERO LUCAS |
1982 ANIBAL GUEVALA 1982-1983 EFRAIN RIOS MONTT 1983-1986 OSCAR MEJIA 1986-1990 VINICIO CEREZO 1990-1993 JORGE SERRANO 1993-1995 RAMIRO DE LEON 1995-2000 ALVARO ARZU 2000-2003 ALFONSO PORTILLO 2004-2008 OSCAR BERGER |
2012-2015 OTTO PEREZ MOLINA 2015-2016 ALEJANDRO MALDONADO 2016-2020 JIMMY MORALES 2022- ALEJANDRO GIAMMATTEI |